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林 健太郎について

エグゼクティブ・コーチという立場から、組織の「個やチームを変容させるコミュニケーション」を指揮する林健太郎さん。コミュニケーションのあり方から人やチームの力を目覚めさせ、パフォーマンスを最大化させる、行動変容のプロフェッショナルです。最終的に「例えば、スターバックスで周囲から漏れ聞こえてくる会話が、本質的で生き生きしているものばかりになったら、もういつ死んでもいいと思う」と語る林さんの想いと、提供されているサービス内容をじっくりと伺いました。
(話し手… 合同会社ナンバーツー 林健太郎  聞き手… おおばやしあや)

※この記事を読むのにかかる時間…約25分

 

集団からはぽつんと離れ、よく人を観察していた少年だった

――林さんについて、まずどんな少年時代を過ごしたのか、お聞きしたいのですが。

東京で生まれて、都会っ子で…集団には入らず、群れからぽつんと離れていることが多かったですね。今はコーチという職業なのに実はチームスポーツはあまりやらずに、水泳や陸上といったひとり競技を選ぶことが多くて。

 

――すごく意外ですね。少年時代というと、楽しいことは大体集団の中にありますよね?

そうなんです。集団から離れて人をじっと観察しているような、ひとりでいることの多い特殊な子どもでした。でも水泳でも友達に教えるということは得意だったかな…。普段から人をよく見ているので、相手にとってどういう声掛けをすれば自然に成長できるかということを直感的にわかって、ちょうどいいアドバイスができる選手でした。そんなふうにして教えた相手が、下手したら自分よりも物凄くうまくなってポジションを奪われてしまうこともあり、それがとても面白かったように記憶しているので、思い返せば、人を導くということにこの頃から惹かれていたかもしれないですね。

 

――ご両親はどんな方々だったのですか?また影響されたことなどは?

父はサラリーマン、母は印刷会社を営んでいました。父は自分の立てた計画やルールに厳しい人で、こちらが何を言ったらどう反応するかの予測がまるでつかない人でした。何が可で不可なのか、彼の中のルールが全く分からないまま判断を待つので、結局自分はあまり自己主張せずに黙ってしまう。母は逆のタイプでとても頭の回転が速く、先を見越して「つまりこうでしょ」と理解して行動してくれるので、またこちらは全てを語る必要がなく黙ってしまう。家庭というコミュニティの中でも、やはり相手を観察してじっと黙って待ち、相手の言葉を促すという人格が形成されましたね。のちにそれが、コーチングにとってとても大事な素地であるとわかったのですが(笑)。自分のもともとの素養に名前がつけられて職業になった、まさにそれがコーチングなのかなあと思っています。

 

――教えるのがうまくて、じっと黙って、人が話すのを促すことができる、少年の頃から高いコーチング能力を。そんな林少年は、コーチングというものがない時代に、大人になったら何になりたいと思っていたのでしょう?

そのころはバブルの最中だったので、自分は正直何者にもなれると思っていました。世の中が盛り上がって、日本の不動産会社がロックフェラーセンターを買収みたいなすごい話も出ていて、ああ自分は何にもなれるんだ、と思って。それならアイルトン・セナになりたいとか。うん、車が好きでしたね。車が好きでだんだんF1を見るようになって、アイルトン・セナを知り、フェラーリを知って…しかし大人になって、商業主義の最たるものや競争原理主義まで見えてきたところで、これは違うぞと方向転換をしました。自分が惹かれる、黙って話を促すとか、人を教えるとか導くとは、まるで真逆な世界じゃないですか、バブルからの、人を蹴落とすとか、すごい金持ちになるとか、自分がカリスマになるとかいうのは。

 

アメリカへ渡り、F1に憧れ夢に向かおうとしたところで、突然訪れた挫折

――車をあきらめることになったんですか?

実は私は、中学の頃に学校が主催していたホームステイプログラムでアメリカに渡ったんですね。それで面白いところだなあと思って、高校からアメリカに転籍しました。大学はインディアナ州の、NASAに技術者をたくさん送り出しているような航空力学を学べる大学に行って、そこで勉強してF1のレーシングカーをデザインする人になりたかったんです。ただもう少しで進学しようという時に日本のバブルが弾け、親からは事業が危うくなったのでもう金を送れないと言われ、急きょ日本に帰るしかなくなった。アメリカの高校に転籍した時に日本の高校は中退しているので、学歴も中途半端だし、アメリカの学校は3月ではなくて6月に1学年が終わり卒業になるので、日本の就活の時期でもなくて。そんな事情だと誰も雇いませんよね。親が知り合いに頼み込んでくれて、建築現場で働き始めることになりました。

 

――まさに商業主義、競争原理社会のせいで夢を諦めざるを得なかった、まだ十代だったのに重いご経験をされましたね…。キャリアの開始は意外なところからですが、そこから今のご職業へ至るには、どんな道のりがあったのでしょう?

いやあもう、色々な職場を渡り歩いてきました。そこから道のりはいっぱいありすぎるのですが…ただそのあまり好きとは言えない商業主義の中で、32-3歳くらいまでずっと体当たりをし続けてきました。営業なら営業で、その職場で一番になる、売り上げのトップを取る、与えられた中でベストを尽くす、を繰り返し繰り返し、15年間くらいがむしゃらにぶつかり続けました。

 

――ご自身があまり好まない世界で職を変えて上へ上へと。その時林さんはご自身の生き方についてどう思われていたんでしょうか?

何かよくわからないけれど自信に満ち溢れていて、やってやる!みたいな感じと同時に、まるで選択肢のないスタートからのキャリアでしたから、ギリギリでいつもヒーヒー言って精一杯で…もう本当、日本ふざけんなって思っていました。やさぐれていましたね。

 

様々な職場での苦労の体験が、今のコーチとしての度量に結び付いた

――日本ふざけんなとやさぐれながらも、15年も正面からぶつかり続けたんですね。参考までに、渡り歩かれた職場はどんなものでしたか、またそこで得たものはどんなものだったんでしょう?

建築現場、家業の印刷屋、国連関係組織の秘書、大手玩具メーカー、ラジコンメーカー、ドイツの玩具会社の日本代表、商社、自分の事業を始めて失敗、通信系大手、他にも英会話教師、水泳のインストラクター…色々ありました。規模も、老舗の大企業から、外資、ベンチャー、小規模の会社、潰れそうなところまで、まるではたらく場所の見本市みたいなものですよね。それぞれの場所で人間関係や特有の課題に遭遇してきたからこそ、現在エグゼクティブ・コーチとしていろいろな組織を見ていて「この職場にはこういうことが起きそうだな」というのは大体わかるようになっています。色々なところを渡り歩き、とにかく必死だった頃の経験が生きていますね。時々クライアントに「いや林さんにはウチの状況は多分わからないと思いますが…」と言われても「いや多分わかると思いますよ」と言える(笑)。

あと自分自身その頃実際うつ病になったりしていたので、そうなりそうなクライアントが来たら、今は大丈夫かなとか、ちょっと危ないかなとか、大体なくわかるようになっていると思います。そういうところで、してきた苦労は現在ちゃんと実になっていますね。

 

――自身が経験してきたからこそ、察せることがあるというのは、クライアント側からもきっと心強いですね。目の前のことに必死だった林さんは、どうやってコーチングに出会ったのですか?

2005年くらいに自分で事業を興して大失敗したんですが、生活が危なくなってとにかく何か仕事をしなくてはと、「誰か紹介してくれ」と周囲に頼み込んでいたんです。そこである人がセッティングをしてくれたんですが、待ち合わせの渋谷のホテルのラウンジに行ったら現れたのがオーストラリア人のコーチだった。誰が来るかをよく知らずに行ったら「Hey! I am a coach!」とか言って登場して…。いや何だお前?と。

 

――ええ~。仕事を紹介してもらいたくて誰か紹介してと言ったら、陽気な外国人のコーチが出てきたという?きっと向こうは林さんのことをクライアントとして紹介されていたんですね。

その彼とお茶を飲みまして、「自分はコーチだ」と言うもので、「いやコーチだかなんだか知らないけど仕事をくれよ」と言いまして。

 

――最初は噛み合ってなかったんですね。

ずっと噛み合ってなかったです(笑)。で、仕事をくれと言われても俺はコーチだから仕事はないけど、これもなにかの縁だからコーチングを1回してあげるよ、と言うわけですね。その彼はアンソニー・クルカスという人で、当時国際コーチ連盟東京チャプター(現在の非営利型一般社団法人 国際コーチ連盟日本支部)の創設者であり、代表だった人なんです。(※註:林さんも2013年、第三代目としてこの役職に就くことになります)コーチングを広めるために来日していました。そんな人に、予想外な出会いで、偶然にも人生初コーチングを受けることになったんです。

 

最初の印象は最悪だった「コーチング」

――国際コーチ連盟の元日本代表ですか、すごい方に出会えてラッキーでしたね。

ラッキーだったんです。でも実は初めてのコーチングの印象は最悪でした。初コーチングでテーマも決まっていないので、じゃあ夢の話をしようと。

英語でのコーチングだったのですが「あなたの夢は何か?」と突然聞いてくるわけです。夢かー、フェラーリ買うことかな~と答える。他には?と聞かれるので、黄色いフェラーリも欲しいかな~、と答える。そうしたら、ふんふん、いっぱいありそうだね、リストにしてみようか、と言われるので、リストに書き起こしてみる。それを見て、コメントしていい?と断ってくるんですね。それでいきなり「あなたは守銭奴なのか」「金があったら解決できることしか書いていないじゃないか」とかいうことを言われました。こちらとしては、仕事は紹介しないは守銭奴みたいなことを言われるは、何だこいつは!と。このおっさんどうにかしてる、となるわけですよ。セッションの最後には、もし継続的にコーチングを受けたいのならできるよと営業までしてくるという。当然、そんなの受けるか!と思って…。

でも、そのホテルを出て渋谷駅に向かう途中10分くらいの間に「待てよ…」と思ったんです。「あの人は正しいことを言っているな」と。自分は、かつて苦しめられた商業主義そのものの、自分がこうありたいと思っていたこととは真逆の、金があれば解決するような人生をまさに送っているじゃないかと。これはダメになるはずだと。それで、家に帰るなりアンソニーにメールを送って、コーチングを受け続けることにしたんです。それが、コーチングとの出会いですね。

 

――日々の生活のお金に困っているような状況なのに、あえてお金によらない夢や目標を見つめるような行動を選んだということですか?

まさに自分の失敗は、お金を稼げばいいという商業主義によるものだと思ったんです。お金を稼いで、いい生活をして…それを目指してしまったがゆえに、今の事業の失敗もあるのではないかと。これはいけないな、このままの生活をしてはまずい、何か変えていかなくてはと思いました。そしてその後コーチングを受けたことによって、自分が劇的に変わったんです。

 

「悪いのは全部社会だ」と考えていた自分に、コーチングがもたらしてくれた気づきと変化

――おお、そうなんですね。コーチングによって劇的に変わった?そのあたり、もう少し詳しく教えてください。(※註:これも、相手の発言を促すためにコーチングでよく使う言い回しです。DELICさんで学ばせてもらいました)

それまでは割と生活が酷かったので、そもそものギャップもあるんですが(笑)、マネージメントを自分ではしているつもりだったんだけれど、人は離れていくし、あまりうまくいかないし、儲からないし…という状況に苦しんでいました。それが、コーチングを受け始めてから割と早い段階で人が離れていくというのがまず止まりましたね。離れていかないし、それまでと比べてお互いにけっこう意見を交換できたというのがあって、もしかしてコーチングがその要因なんだろうかと考え始めました。

 

――林さんご自身が何か変わったという実感があったんですか?だからこそ、今の「個やチームを変容させる」というところに繋がっていると。

その時は自分が変わった実感というよりも、コーチングのおかげなんだろうか、コーチングすごいなと、アンソニーすごいなと。私は随分ひどいクライアントだったと思うんですが、アンソニーはだいぶ頑張ってくれました(笑)。

 

――というと、けっこう、溜まっているものを吐き出したりされたんですか?

大体、何か自分に都合の悪いことがあると「日本の社会や政府が悪いんだ」と、誰かのせいにしていましたからね。

 

――あっそれは、イヤなかんじですね(笑)。

(笑)まさに。コーチング自体はその年の春くらいに始めていたのですが、そのあと半年くらいの間は、アンソニーとの対話中に「健太郎はこうなんじゃないの?」というフィードバックをもらう中で「いやそれは日本の社会が悪い」と言っていたんですね。で、半年ぐらいたったあるセッションでも、日本の社会が悪いというお決まりのセリフを言おうとしたのですが、いや、そんなことはないかもしれないと感じて、言葉にすることができなかったんです。「いや、私の行動と考えがいけなかったですね」というのを自ら認めざるを得ない時が来た。それはもう、アンソニーの粘り勝ちでしたね。ですから今も、コーチングをする時は、自分もすごく粘ります。きっと気づいてくれるはずだと思って…アンソニーがしてくれたように。アンソニーの粘りのおかげで「自分が原因なんだ」というスイッチが入ったし、そこから本当に自分が変われたので。

 

――そうだったんですね。もしかしてそれが、コーチになろうと思うきっかけだったのでしょうか?

はい、そうですね、そうです。

 

――なるほど、偶然の出会いから導かれて。ちなみに、コーチになるためにどういったトレーニングをされたんですか?

アンソニーに「コーチという仕事が自分には向いている気がする」と言ったら、「君が思うのならそうなんじゃない?」と言われまして、今思えば常套句なんですが(笑)、当時の自分にしてみれば「お墨付きをもらったぞ」と、プロのコーチがそういうなら間違いがないから始めてみようと。

 

生活が苦しくても、コーチになることに賭け、借金をして香港へ学びに行った

――少年期に作られた、ひとりでぽつんと居たことや、教え上手だったり、黙って人の話を促したりするような性格が、コーチに向いているんじゃないかと思わせてくれたんですね。

そう思いました。さらに「なれるよ」とアンソニーに背中を押してもらったので。それで、どう勉強したらいいのかというところで聞いたら、アンソニーが、僕が教えてあげるよと言ってくれたんですよね。でも実際にはそのまま放置されました…。最終的に私の方からアンソニーに、コーチングを教えてくれないのなら学校へ行くから学校を教えてと言ったら、いくつか教えてくれたんですが、健太郎には今そこへ行く金はないだろうと言われて。確かにその通りなんですが。アンソニーが言うには、例えばコーチングの学校の費用が60万円するとしたら、それに投資するということは、その金額を回収できる見込みがなくてはいけない、と言うわけです。

その授業を受けてきたらプロのコーチと名乗れるわけだけれど、いくらくらいでコーチングを提供するか決めてあるのか、1回数千円として、何回やると60万円の元を取れるか、100回であるとしたら100時間として、その100時間をコーチングに費やして元を取るということを、自分でちゃんとコミットできるの?そこからプラマイゼロのスタートだけど、やれるのか?と聞かれて、そうか、やるぞと。そこからですね。それで、アメリカの本校がアジアで短期集中のクラスを設けていたので、なけなしの金をはたいて、借金もして、香港の一週間集中講座に行きました。英語で学ぶと商圏が世界になるというアンソニーの助言もあり、英語で学び、免状をもらって帰ってきました。

 

――すごい、思い切った決断ですね。でも、必要だと思ったから決心なさった。

そうです、必要だと思ったので一大決心しましたね、当時の奥さんには白い目で見られましたが。100時間やると決めて、決めたらやる人間なので。朝4:30に起きて1:00くらいに寝る生活を、2年くらいやりました。大手通信会社で会社員として仕事もしていたので、4:30に起きてコーチングの勉強をして、コーチングの営業をかけるメールを送って、子どもの世話をして家のことをして、出勤する時もコーチングのテープを聞いて、出勤したらコーチングスキルを職場で試しつつ、17時になったらダッシュで帰って、予約のあるクライアントさんにコーチングを提供して……で、家に帰ってクライアントさんにお礼メールを送って、フェイスブックで営業して、夕飯を食べて家族と過ごして、家族が寝たと思ったらまた勉強…という日々でした。

当時は知り合いに「よくわからなくてもいいからコーチングをやってみない?お茶代程度でいいから」と人を集めていたのを思い出します。

 

――すごい、はじめは本当に草の根作戦から始まったんですね。そこから、アンソニーさんが初代だった国際コーチ連盟日本支部の代表理事も務め、今やたくさんの経営者から信頼されるエグゼクティブ・コーチにまでなられたと。はじめの時はお茶代と言っていましたが、今は料金はおいくらですか?

デビュー当時は顧客リストもないので、クライアント集めには苦しみました。プロコーチとしては1時間5,000円くらいから始まったように記憶しています。そしてその後目標を持って単価を上げてゆき、年月を経て、今は1時間10万円でやっています。当時は英語のできるコーチが少なかったので、海外のコーチング会社から、日本で行われるグローバルプロジェクトなどでのコーチング依頼が入ってきたりする過程で「市場価格」も理解しつつ、経験と共に徐々に値上げをしていきました。

 

思い出したくないことだらけだけど、振り返って自分は今、人類の役に立っていると思う

――現在は1時間10万円までに。すごいですね。時代に翻弄され、困難に向き合い、お金の足りないギリギリのところから藁にもすがるようなコーチング人生が始まって鍛錬を重ね、今や経営者の駆け込み寺とも、行動変容のスペシャリストともいわれるエグゼクティブ・コーチ林健太郎という存在がここにあるわけですが。コーチングに出会ってこれまでを今振り返ってみて、いかがですか?

えー、なんてことを聞くんですか…いやです。今はまだ体験が強烈すぎるので、振り返らせないでください(笑)。20年後くらいになったら振り返られるかなあ…。

やれるもんなら違う人生がいいですけどね。良いも悪いもあらゆることを経験して、経験としてはかなりハードです。「もう一回やる?」って聞かれたら「鋭意やりません!」という感じで。欲を言うなら華やかな人生を送りたい気もしますけど…。違う時に生まれて、商業主義の中で突っ走って何かが為せていたら、それはそれでハッピーなんだとは思います。でも自分の場合はそうはいかなかった。そこで人生を賭けた「学び」というものをやってきて、それは意味が深いんだろうなあ…と思います。コーチングに出会ってからを振り返ると、今は人類のために役立っているとは思います。

 

――世の中には、辛い思いをしている人たちがいっぱいいますからね。

地球の皆さんのリソースにはなっています。…あれなんかちょっと話がきれいだな(笑)。まあともかく、ここまで強烈な体験をする人はあまりいないと思うので、強烈体験の見本市みたいに使ってもらいたいですよね。他の皆さんには、大変すぎるのでこういうことはあまり体験してほしくない。そういう意味では私の、好奇心旺盛で「これをやってみたらどうなるだろう?」と実験してしまう性格も一役買っていますね。「これはやってみたらどれくらい痛いのか、痛さを経験しに行こう」と。

 

――ご自身を使って変わった実験をされて…。でもそれが、真に迫った言葉であったり、コーチとして寄り添うあり方だったりに説得力と信頼を持たせているわけですね。

 

逆境を乗り越え挑戦し続け、大成した敏腕コーチの見る「これから」

――コーチングDELICチームビルディングHBDI®企業研修などのそれぞれのコンテンツについてはまた別のインタビューを読んでいただくとして。ではここで、今や多くの経営者からも信頼されるプロコーチとなった林さんの「今の想い」「これから世の中に何を与えたいのか」のお話をぜひお聞かせ願いたいと思います。林さんは社名をナンバーツーにされるだけあって、俺が俺がというタイプではないですよね。それが今回「林健太郎オフィシャルサイト」を作成するに至った根源みたいなものを、教えていただけませんか?

ええと、なんか、千利休みたいなことですよね。茶室があって、自分はそこの主で、自分のやり方でしかやらないんだけど、それは何のためかというと、人の繁栄のためであって…。茶室のにじり口で刀は下ろしてきてね、みたいな…。

 

――…あの~すみません、ちょっとわかりづらいので…(笑)。

(笑)うち(合同会社ナンバーツー)のミッション・ビジョンの話でいくと「どのようにすれば、地球は本質的な会話を手にすることができるだろうか」というのが、ひとつの大きな問いなんですよね。

 

本質的な会話が色々なところで為された時に、人間のポテンシャルはフルに開花するのではないか? それが見たい

――本質的な会話とはなんでしょう?

本質的というのはつまり、早いペースでHow to や解決策だけを話すようなことで失われている部分のことです。そうでなく少しペースを下げて、お互いが意見を言い合ったり、理解を示したりということが起きた時に、人間の会話ってどう変わっていくんだろう、そこから生まれるものは何かな?というのに私は好奇心がありまして。そういう風な会話が、今日のインタビュー会場みたいな喫茶店のような場でいっぱいされているような…そんなことを人類に起こしたいです。

そのコツって実は、ちょっとのことなんですよね。コーチングでは黄金のフレーズですが「…というと?」「もう少し詳しく教えてください」といった言葉が向けられるだけで、人は、安全だ、話したいと思って話すようになるわけです。しかし日常的に行われている会話では「えー何そんなレベルなの?信じられない」とか「ああ、そうそう、あれネットで見て知ってる~」というように会話が早く流れていってしまう。それによって失われているコンテクスト(文脈)って実はいっぱいあるはずだと思うんです。そういったものをお互いに拾い合いながら育んで会話ができた時に、人間のポテンシャルってフルに開花するのではないかと。そういう世界が見たい。見たいから、観察者だけではいられないので、自分からも何かしなくてはいけないと。そのための営みの中でできることが、今取り組んでいるコーチングであったり、DELICであったり、チームビルディングなんです。

 

――コーチングの中にある軸は、対話からの「行動変容」ということでしたよね。コミュニケーションから為される、結果的にすべての人のポテンシャルがフルに開花するような世界を、林さんが見たいからということなんですね。

そうです。だから例えばある日スターバックスにふらっと入っていって、そういう本質的な会話があちこちで起きているのを見届けた瞬間に死にたいです(笑)。お店に入って、ああここでも、あっちでも、人の可能性を育むような本質的な会話ができているー!というのが見えたらもう、私の役割終わり~という感じで。

 

――林さんが、ブラック的なところも含め色々な職場で、能力が活かされなかったり、大切にされなかったりする人たちの不遇を見てきたからこそ、求めている光景なんでしょうか。

はい、そうですね。

 

人が自ら「スイッチを入れる瞬間」に立ち会うのが喜び

――今、世の中では少子化だとか言われていますが、そのようにして、会話から一人一人が才能を花開かせ活かされるような世の中になれば、人財が足りないと騒ぐようなことにはきっとならないですよね。林さんはやっぱりすごく、人の力を信じていらっしゃるんでしょうね。

うん、うん。そうですね、やっぱり、そういう瞬間が好きですね。人がスイッチを入れる瞬間が、好きです。

 

――人がスイッチを入れる瞬間。その時にコーチとしての喜びを感じますか。

なんかもう、おお~スイッチ入ったねこの人!みたいな時はやっぱり嬉しいですし、達成感があります。そうだよね、人間そうじゃなきゃ、と思います。クライアントとのコーチングの過程でその「瞬間」をいっぱい経験しているので、人間ってすごいじゃん、できるじゃん、という。ぜひそれを見続けたいですね…。だから、そうじゃない現場には行きたくないです。「なんか、ちゃちゃっとやっておいてください、何でもいいから」というのは、嫌ですね。

 

誰もが持つ、本当の使命を生きるための「スイッチ」を、今ここで自ら押す手伝いをする

――「変わりたい」と思っている人の役に立ちたいということですよね?

というよりは、「みんな」変わりたいはずなんですよね。人は、みんな変わりたい。使命を生きたいはずなんです。でもその使命を生きるスイッチを入れるのを「今日はいいや」とも思っているはずなんです。「大切なことなんだけど、まあ今日はいいや」という状態であるのを、「林健太郎が来た日がその日ですよ」とする。林が来ちゃったからしょうがない、さあスイッチ入れてもらいますよ、という感じの関わりであり、私自身それができる存在だと思っています。人が自分でスイッチ入れていくところを見るのが、やっぱり醍醐味というか喜びなので。

 

――林さんが押すのではなく、自ら押すようにしてくれるんですね。

はいそうです。私が押して入るならそうしますけど(笑)。まあ自分自身じゃないとそのスイッチは入らないですよね。

 

――行動変容を促してくださると。それは自分にはできにくいことかもしれないですよね、日々のことに忙しくて追われている人に、「いま今日、ここでやるべきしょ?」というのを見極めて伝えて、「あ、そうだ、押さなきゃ」と思わせて、スイッチを押すことの決断を手伝ってくれる。

この時代に生きる私たちは、そういうスイッチを自分で押せるんでしょうかね?私もそうですけど、今が人生の中で一番、スイッチを入れないといけない瞬間だと直感でわかったとしても、入れられないかもしれないですよね。「自分は今日から、これについて並々ならぬエネルギーで動かなければいけない」と思ったとしても、「…と、思った気がするけどまあいいっか」となってしまう。それを後ろから誰かが背中を押してくれたら「おおそうか、今日だったのね、よし、動くか!」となるかもしれない。そうなれば二人三脚なわけです。その誰かと一緒に動き始めるわけだから、自分だけ降りたりすることはできなくなる。やってやる、と思えるわけです。

 

――当時、商業主義の真っ只中にいて、自分の本当の人生を生きられずに、悶々としていた過去の林さんに、今の林さんがコーチングをするとしたら、何か起きますかね?

…ちゃんとできるかな?(笑)こいつやばいな、手ごわいな、誰か他のコーチに任せようと思ってしまうかもしれません。いやあでも、手ごわいけど、こいつ面白いなあって思うでしょうね。それでいつスイッチ押すかなあと見ます。

 

結局は自分の人生なのだから、自分で決めて、自分で動く。

――(笑)逆に、過去の林さんは未来から来た林コーチをどう思うでしょう。

面倒くさい奴来たなって思いますね(笑)。俺に何させたいんだろう?何かさせたいなら言えよと。ただ、そこにやっぱり最終的な気づきがあって、「俺について何かあったら言えよじゃなくて、最終的には俺が自分で言うことなのか。まあ俺の人生だからそうか、そうだよね」っていうスイッチの入れ方が、色々な人に必要ですよね。「言われたらやります、時が来たらやります」という人はいっぱいいますけど、そうじゃなくて今でしょう?目を三角にして、汗かいて走るんでしょう?という話ですよ、人生の時間は有限ですから。でもそれって格好悪いし、やり方もわからないし、失敗したらちょっと嫌だし、やらないほうがいいかも…という風潮は実際にあるので、そこを、いやいや今やろうよ、と持っていくのが私の仕事です。

 

誰かが「自分以上に自分の可能性を信じてくれる」ことの救い

――失敗を恐れる風潮はありますよね。でもそれを、今でしょうという風に背中を押してくれたり、傍にいてくれたりしたら、それは促進できるかもしれません。

コーチングって面白くて、「自分以上に自分のポテンシャルを信じてくれる」人(コーチ)ができるわけです。そんなことは人生の中では普通には起こらないですからね、そうするとビックリするわけです。例えば、「自分が自分を信じられない時に、他人が自分を信じてくれている」という状況が起き得るということです。

それってなんと恥ずかしいんだろう、泣き言を言っている場合ではないなと。応援してくれる人がいる喜びというか、勇気というか。それがポイントですよね。誰かが自分以上に自分を信じて一緒に歩いてくれるというのは、本当に救いだと思います。自分自身をしょぼいと思っていても、周囲の人からは評価されていなくても、この人だけは信じてくれている。と思った瞬間に、よっしゃ、とスイッチが入りますよね。

 

――そうですね。得難い存在です。救いですね。

私の元には、もう少しでクビになるのではないか?という状態で送り込まれてくるリーダーもいますけど、その人を全面的に信任して「できるから」と後押しし始めた時に、その人が出せる威力たるや凄いものですよ。「林さんがそれだけ信じてくれるなら、頑張らないわけにはいかないじゃないですか」と、やってくれる。

昔はそういうのが、夜のお酒の席で、怖~い、普段は心のない上司から、言葉として態度として伝わってきたんですよね。「お前のためにやってるんだからな」「今はわからないと思うけどいずれわかるよ」と言うことを言われながら、その上司の仕草とか間合いとか見ながら、あれ、なんかちょっと愛情を感じるなあとか思うわけです。でも今はそういう機会がないので。

 

「やらない後悔」よりも、「どんな時も行く」を選ぶ

――実はさきほど、移動中の雑談で林さんから出た言葉が素敵だったので、残しておきたいんです。「共にある」ということを。クライアントとは一緒に考える、一緒に傷つくし、上から下に偉そうな監督のように何かを言うわけでなくて、信じて共にある。心から信じてくれるので、やはり頑張ろうと思うし、相手の変容に手を抜かないところに、信頼がおけるなあと思いました。

英語で言うとGo the Extra Mileという言葉があるんですが、日本語だと次のマイルを行く?少し安っぽいですが…「どんな時も行く」んです。「やるべき時に、やる」んです。そうでなければ、誰も本当の使命は生きられない。

 

――林さんの、変化の手を緩めないそのモチベーションは、どこから来ているんでしょう。

やはり、やらなかった時の後悔ですね。やるべきことをやらなかったことによるデメリットとか、辛い経験を過去にいっぱいしてきたので。やっぱりその瞬間瞬間に全力で当たらなくてはいけないですよね、それ以外の選択肢はない。それで、こちらはコーチとして毎回その場面につきあっているけれど、相手は人生の中で一回の経験かもしれない。

自分のキャリアの中で何回プロのコーチングを受けるかというと、大体1回、よくて2-3回です。人生に1回の経験をこちらは提供しているのに、「まあ、これぐらいでいいか」はないですよね。あのコーチの存在によって羽ばたけたとか、あのチームのあのプロジェクトだからできたとか、そういう体験を作っていきたい。あの瞬間が俺のキャリアのハイライトだった!と思える瞬間を「今」作ってほしい。この日この会話を死に際に思い出す、というレベルで真剣にやろうよ。そういう思いで、やっています。

 

――辛いこともあるかもしれませんが、なにか、互いに幸せな仕事ですね。そういうお仕事を、情熱をかけてやってくれている人がいるよ、というのを知らない人が多くいらっしゃいますよね。

そうなんですよねー。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」という、あれですね、チコちゃん(©NHK番組「チコちゃんに叱られる」)みたいな。あれやってくれる人です私。

 

――チコちゃんは、さっき出てきた千利休とはだいぶ格式が違いますけれども(笑)、チコちゃん5歳であれ、千利休であれ、今の時代に合った新しいコーチングやそれに伴うコンテンツを世の中に広める、知らしめるというのが、もしかしたら、数々の困難を乗り越えられた林さんの持った使命かもしれませんね。

そうですね、コーチングのそもそもの手法というのは、時が経ち古くなりかけています。ひとつ覚えておきたいのは、「相手の中に答えがある」というコーチングの定説の本来の意味が、「相手の中に答えがあるかもしれない」というものであるということです。言い換えると「相手の中に答えがあっても、それは間違っているかもしれない」ということなんです。あくまで「その人の持っている力で何かを紡ぎだせるよ」という単純な話で、仮説を立てるためのプロセスにしか過ぎない。盲目的に相手の決断や判断、主張を採用することとは異なること。その仮設をどう活用するかについて真剣に考える必要があります。時代と共に人が変化する中で、ひとつのテクニックにこだわっていてはいけないと思うんですね。

 

自分を必要としている人のために在りたい

――過去の体験から、人が変容できるための様々なコンテンツを提供している林さん、ナンバーツーさんは、今後どのように変化していくのでしょうね?

どうでしょう、あまり大きな変化は見ていないですね、小さく小回りが利いてというのが基本の話なんですけど。例えば周りの人から、こういう展開が面白そうだからやりたいとか、一緒に新しいことを始めてみたいといった申し出に対しては常にオープンです。広めてくれる人がいて、こういう風にやりたいということがあれば、それに対して一緒にやることはハッピーですね。

でも自分が主導権をとって大がかりなことを実施するとか、大きなムーブメントを作ってやるとかいうには、ちょっと力が足りないというか…あまり興味がないかもしれないです。人の成長のためにやっているから、自分の野望とか、自分の会社の成長のためというのは本当に二次的なことで。

 

――ブームになることと、人を助けることは、確かに少し違いますからね。認知度は低くていい、「知る人ぞ知る」という存在でありたいと、打合せの段階から仰っていましたね。茶室にいる利休のような…に繋がりますね。ああ、繋がって良かった。

精神的にはもうそんな感じです。経済的なしがらみがなければ、自分の助けを必要としている人のところに、その人のために、どこへでも行きたい。その人のために在りたいです。今は本当に、そんな気持ちですね。

 

――少年時代からの林さんの歴史、困難逆境を乗り越えて出会ったコーチング、経験を重ねコーチとしての現在の想い、この旅路の中で得られた熱のある素敵なお言葉を、たくさんお聞かせいただきました。私も色々なことを感じましたし、今ここで変化を決意することの大切さ、それを後押しする人の貴重さを再実感させていただきました。素敵な時間を、ありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

 

 

◆話し手…林健太郎
合同会社ナンバーツー エグゼクティブ・コーチ
一般社団法人 国際コーチ連盟日本支部 創設者
2010年にコーチとして独立して以後、ビジネスリーダー250人に対して2000時間を超えるコーチングを実施。企業向けの研修講師としても活躍し、年間の登壇回数は100回近くにのぼる。
人が変化する瞬間に立ち会い続ける中で、「人が変わるためには何が必要で、実際に変わる瞬間に何が起こるのか」という見識に裏打ちされた、コミュニケーションメソッドを確立。国際コーチ連盟の依頼で出演した動画の再生回数は50万回を超え、海外からの引き合いも増えている。
【取引実績】アストラゼネカ、HSBC、エスティーローダー、武田薬品工業、トライバルメディアハウス、LIXIL、フィリップモリスジャパン、フェラーリジャパン、ヒューレットパッカード 他多数

◆聞き手…おおばやしあや
SAI Japan / ウェルビーイングコミュニケーションラボラトリー代表、フィンランド国家認定ソーシャルワーカー。人の真の多様性を活かし「はたらく人のwell-being実践」と「組織の発展」の両方をコミュニケ―ション活性から促進させることを目指し、コミュニケーションカードツール開発のほかwell-being(より良く生きる)や本質的な内容の研修を企業、医療機関、大学、行政などに提供。命の大切さを伝えるFMラジオ番組の進行役も務める。